この正しさが目に入らぬか!~正義の悪用

以前働いていた職場に「正しい」人がいました。

 

自分の考えは正しい。

自分のやっていることは正しい。

 

それに則って意見を言います。

行動します。

 

なるほど確かに正しい部分もあるでしょう。

しかし、それで済むのならまだしも、続けて言います。

だから相手は間違っていると。

 

そして、自分の正しさに反する人を否定します。

自分の正しさに当てはまらない人を否定します。

受け入れません。



そして、時に正しさを振りかざすことがあります。

正しさをを使うんですね。

 

なんのために?

 

それは自分の思い通りにするために。

 

正しさを使って自分のやりたいことを実現しようとする。

正しさを使って自分の優位に進める。

正しさを使って相手を排除する。

 

あたかも錦の御旗のように。

水戸黄門の印籠のように。

 

正しさを振りかざしてる内はまだいいでしょう。

しかし、正しさに相手を下げて自分が上に立とうとする意志が加わった場合、見苦しいです。

正しさに思い通りにしたいという意志が加わった場合、危険です。

 

私はここ一、二年、SNS上で誰かが極端に否定されるのを見るにつけ、この臭いをプンプン感じていました。

 

あまりに軽く、あまりに極端に感じます。

前者は、単なる自身の欲求不満のはけ口、劣等感のいびつな解消でしょう。

後者は、自分の意見を押し通すために他者を排除しようとするのでしょう。

 

民主主義を振りかざして他者を排除しようとする時、それは民主主義から遠のいていくに違いありません。

 

哲学者ヴォルテールの言葉にあります。

 

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたが主張をいう権利は命を懸けて守る。」

 

私には、最近のSNSを始めとしたメディアでは、あまりに人の意見だけでなく人格まで否定し、溜飲を下げようとしているようにしか思えないのです。