理想的な終末期

父が亡くなった後の実家に初帰省した。

 

田んぼの中にある新興住宅地10軒ほどの一つ。

 

近くでタクシーから降りる。

少し歩けば一面田んぼ。

 

空を見上げた。

数年ぶりかで見る秋田の星空。

 

雲の隙間から見える星がまばゆい。

 

家に向かう。

外から家を眺める。

 

明かりが2部屋ぐらい付いている。

中に母一人。

 

胸に迫る。

捨ててはおけん。



姑である私の祖母から始まり父の在宅介護をずっとしてきた。

母のあり方をずっと見てきた。

 

父が寝たきりになって、寝る前にベッドの脇に5種類ぐらいの飲み物を置いているのを見た時。

 

家の中、部屋の中に父の好きな様々な色とりどりの花を飾っていることを知った時。

 

下半身麻痺の父の足をマッサージしている様子。

 

全てが驚きだった。

決して仲のいい夫婦であったわけではない。

 

どうしてここまでできるんだろう?

ずぼらな私からしたらとてもじゃないが想像つかない。

 

これほどまでに恵まれた終末期はあるのだろうか?

 

熱心な訪問看護師の方の働きかけにより、最後の方は車椅子に乗せてもらえるようになって大好きな家の庭を見たりすることもできた。

 

痛みも緩和ケアによりさほどは苦しまなかった。

何より父が最も望んでいた在宅での最後を完全に迎えることができた。

 

死の間際には家族がそばにいた 。



亡くなった時、担当看護師や医師が母に対し、温かい慰労の言葉をかけていたことが全てを物語っている。

医師は振り絞るように言った。

 

「偉い」

 

ここまで理想的な終末期を父が迎えられたのも、良い援助者に恵まれたのも、全て母ありきだったように思えてならない。



その母がこの家に一人。

 

気安く出歩けられるような場所でもない。

付き合いもそれほどない。

 

しかし、母はここに残る。

息子たちは東京から離れられない。

 

さてどうしたものか。

今、与えられた状況でどうするか。

 

カウンセリングなどでクライエントの方にしばしば話す言葉がある。

「あきらめなければ人は必ずより良く生きられる」と。

 

今、私に問われている。