「問題」を「心配」に言い換える

今日は、やまき心理臨床オフィスで「未来語りダイアログ」を受講してきました。

 

アンティシペーションダイアログとも言います。

 

今、精神医療関係で急速に広まっているオープンダイアログの未来志向バージョンといったところでしょうか?

 

相変わらずの八巻先生の分かりやすく楽しい講座で有意義な時間となりました。

 

その中で今日印象的だった箇所を自分の備忘録的に書きます。

 

私は福祉分野で働いていましたが、とにかく困難ケースほど原因論になりがちです。

 

やれ、性格が悪い、やる気がない、親が悪い、あそこの企業はダメだ、ありゃ発達だから、etc・・・

 

これは何しているかというと、一言、責任回避。

要は、支援者として自分には解決できないということを言えないから、誰かのせい何かのせいにして落ち着いちゃうんですね。

 

どうするどうする?困った困ったという張り詰めた雰囲気が、ふ~って楽になる。

 

はい、私やってました。

周りもそうかもしれません。

 

プロフェッショナルから見たら非力の証明です。

 

まぁ、こんな時はうまくいかないですね。

問題が問題であり続け、モヤモヤしたままになんか知らないけどいつの間にか日々の仕事に忙殺され、気づいたら残念な展開になっている。

 

原因論的に何が悪いか?などと考えるとそうなりがち。

 

 

今日の講座で、八巻先生は「問題」ではなく「心配」に焦点を当てると良いと言いました。

 

これ、ストンと落ちました。

何が問題?と問うのではなく、何が心配?という文脈にしていく。

 

そうすると、この巧妙な言葉使いで責任回避から自己責任の文脈に持っていくことができる。

また、「問題」という個人的なものから「心配」という対人の関係性に持っていくことができる。

 

そうして「心配」という文脈に持っていくと、じゃあどうすればいいかというアイデアも豊富に出てくる。

言葉で書くとほえ?って感じがするかもしれませんが、実践すればきっと何か変化があるに違いないと思います。

 

これ、福祉分野での現役時代に知っていたら絶対使えたはず!と、ちょい残念。

 

ただ、心配という感情は時に人を支配したいという目的で使われますので、あくまで責任回避あるいは責任放棄から自己責任へと変えていきたい時などに使うに留めておく必要があるのではないか?と感じました。

 

でないと、うまくいっている時に「心配」という名の下に、俺の思い通りになれ~みたいなことをしかねないからです。

 

 

ん~、学びは面白い。