「決める」人と「決める」を持てなかった人

最近、全く正反対の人生を歩んできた二人の方の物語を聞きました。



一人は、日本支援助言士協会の理事長の鶴田恵美子先生。

 

アドラー心理学の日本の黎明期から学ばれた方で、私にとっては大先輩にあたる方です。

 

今日講演をお聞きした中で、鶴田先生は幼少期から「決める」ということを、当然のように実行されてきた様子がお話から伺えました。

 

時に大きな決断を、今日は雨だから傘を差すわよといった感じで。

 

勇気とか、ためらいとか、迷いとか、決意とかいったような雑味や重さがないんですね。

サラリとしたお水のように自然体。

 

その「決める」人生に感銘を受けました。




そして、もう一人の方。

匿名の電話相談。

 

DV(家庭内暴力)からのサバイバーです。

家から脱出したものの、自分の判断に自信が持てない。

自分で何かを決めたことがないと言いました。

 

要は暴力により意思を持つことを許されなかったのです。

すべての意思決定が自分の元になかったのです。

 

家から出てなお、意思決定とDVの呪縛に覆われているその方に言いました。

DVは精神的な犯罪行為だ、人の尊厳と人権を奪う、あなたは何一つ悪くないと。

 

しばし、やり取りが続きました。

 

最期にその方は言いました。

許したいと。

 

私はもう何も言えませんでした。

 

人権も、尊厳も、自由も、決めることも、一切すべての物を奪われてなお、その方に残っていたもの、それは自分のあり方を決める自由だったのです。