自己啓発依存症~フロイト~そして森田正馬へ

<メルマガより転載>

 

昨日、フロイトの講座を受けて思ったことの続きです。

 

 

巷では自己啓発本が賑わっています。

キャッチーなタイトルで私たちの気を引きます。
本屋に行くと何気なく手に取ってしまいます。


私なんかがよくありがちなのが、自己啓発本を買っただけでなんとなく気持ちが上がるんですね。

まだ中身読んでないのにちょっと自分が前に進んだかの様な、上に上がったかのような、そんな気持ちになってしまいます。

そして、そういった類の本を読んでる時っていうのは何となくホロ酔い状態に近くて、その時はハイな感覚に浸れるんですけど、ふと酔いが覚めて3日たてば中身を忘れてしまうんですね。

あれ、なんだっけ?みたいな。

けど、私たちはより良くありたい、今より向上していたい、それが人間の性(さが)ですので、また何か本のタイトルに惹きつけられて買ってしまう。
ある種、自己啓発依存症のような?


けれどもどうなんでしょう。
果たしてそれで前に進んでいるんでしょうか?
向上しているんでしょうか?

私が学ぶアドラー心理学においては、人が普通の状態の時も、あるいはどん底の時でもそこから上に上がることを目指します。

ところが、アドラーとは全く正反対のフロイトという心理学者のセミナーに出たとき、講師の先生は言いました。

フロイトは落ちていく時にしっかりとその状態と向き合う心理学ですと。
ベクトルが下向きなんですね。

自己啓発本は上向きです。
アドラー心理学も上向きです。

時代がより良くあることに向かっている中で、落ちていく自分としっかり向き合うと。
考えさせられました。


しかし、一方、ふと思ったのです。

日本発の数少ない心理療法の一つ、森田療法の祖、森田正馬が言っていることと同じではないかと。
森田は言葉を変え、表現を変え、何度も何度も言っています。

「さて憂と楽と、雨と晴れとは自然の現象であるから、人為的にこれは何とも致し方はない。しかるに強いてこれを、いつも気楽に、いつも天気にしようとするには、外界を無視して、主観的に工夫するよりほかに仕方がない。
・・・要するに人生は苦は苦であり、楽は楽である。「柳は緑、花は紅」である。その「あるがまま」にあり、「自然に服従し境遇に従順である」のが真の道である。
・・・憂鬱や絶望を面白くし、雨を晴天にし、緑を紅にしようとするのが、不可能の努力であって、世の中にこれ以上の苦痛なことはない。」


「自分で治そうとすればするほど、ますます悪くなる。神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくそう、逃れようとする間は、10年でも20年でも治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ、仕方がないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。
すなわち「逃げようとする」か「踏みとどまる」かが治ると治らないの境である。」


「<あるがままの>第一の要点は、症状あるいはそれに伴う苦悩、不安を素直に認め、・・・そのまま受け入れていくことである。第二の要点は、症状をそのまま受け入れながら、しかも患者が本来持っている生の欲望にのって建設的に行動することで、これが単なるあきらめと異なるところである。」


引用が多くなりました。
要は何が言いたいか?

生きている以上は、人は完全には苦悩から逃れられない。
生老病死と言います。

それを無理強いして上に上げようとするよりも、そのまま感じきることで苦悩は自然に流れていく。

そして同様に、苦は苦として受け止めながらも、あらゆる人が持つより良くありたいという止まざる本能に従って、自分なりの「こうなりたい」「こうありたい」に素直に向かっていくこと、これが賢人たちのメッセージなのではないかと思うのです。