発達障害は個性?

 

アドラー心理学仲間の野口勢津子さんのブログを読んで考えさせられました。

 

「『発達障害は個性』という言葉」

http://ameblo.jp/kusuttokosodate/entry-12293629959.html

 

 

「発達障害は個性」という言葉について、これまで関わってきた経験から思う私なりの考えを書いてみます。


結論から言うなら、そうでもありそうでもないということです。

私は実際の支援の現場で、これと似た言葉を発達障害の当事者に言ったことがあります。

その方は、幼少期から成人期に至るまでの負の体験を通して、自己否定の強い方でした。

自分が発達障害であることにコンプレックスを持っていたのです。
そこに輪をかけるかのように、他者から発達障害であることに対して否定的なことを言われたとのこと。

私は即座に言いました。
発達は単なる個性の一つに過ぎないと。

私がKYで、近眼で眼鏡を外すと何も見えなくて、パソコンが苦手で数字や記号を見るとグロッキーになるのと一緒のようなものだと。
「え?佐藤さんKYなんですか?」
「これ極秘事項ね」
そんな会話があったとかなかったとか。
まぁ、それはさておき、ましてやスペクトラムと言われるように程度なんですと。
誰しもがそんな部分を持っている、それが多いか少ないかだけの違いだと。

こんなことを話しているうちにその方は落ち着いていきました。

とは言っても、現に発達障害を抱えている方の中には、医療に障害と診断される方もいれば、それにより制度上の支援を受けられる方もいる訳です。

こうなると発達は個性では済まなくなります。

更に私のような程度の低い?発達ならまだしも、中には我々の想像もつかないような生き辛さを抱えている人もいます。

現に私が支援をしてきた中で、自分の無力感を痛切に感じさせられた方も何人かいました。
あまりの生きにくさになんとかしてあげたいと思ったのに、結局は何もできないままズルズルと終わりました。

今でもその方のことをたまに思い出します。

こういった状況では、発達は個性だ!なんてとてもじゃないけど言えません。
言える人には何らかの意図があるでしょう。
善をまとうためか、注目されたいのか、影響力を発揮したいのか、リードしたいのか。
結論を言うならば、「発達障害は個性」という言葉は、結局はどう使われるかではないかと思います。
話し手の意図でいかようにもなりうる。
そして、時に言葉が一人歩きしてしまう。
当初の意図とは裏腹に。

発達は個性だ!という言葉を使っている人の中には、ひょっとしたら優越感を感じたり、相手を黙らせる決め台詞で使ってたりして?

え?私?

ドキッ