電車が怖い

電車の座席に座る。

おもむろに携帯を取り出す。
あるいは新聞や本を読み始める。

時間がない中で勉強していた頃のクセなのか何なのか、何かをしてないと気が済まない。

あるいは私の生き方のクセだろう、一歩前に進んでいる感覚、向上している感覚がないとイヤなのかもしれない。


遠い日々、携帯がそれほど普及してなかった頃、なんとなくボーッと前を見たりしていたように思う。

秋田のど田舎から出てきて初めて人がいっぱいいる電車に乗った時、なんとなく目のやり場に困った記憶がある。

向かいの人とたまに目が合ったりするのが何か面映ゆいような。

そんな時代もあった。


人の相談を受けたりしている中で、電車が苦手という人は数多い。
というかあまりに多い。

メンタルヘルスで何か精神的に病んでいくとその傾向が強まるように思う。

パニック障害という精神疾患があり、そういった方々が電車が苦手なのは病気の性質上当然のことだが、そうではないうつの方、統合失調症の方も病気が重くなるに連れ、電車が怖いと言う。

人にはパーソナルスペースというものがあり、他者が自分の一定程度の距離内に入ると違和感を感じる。
都会の電車はあまりにパーソナルスペースを赤の他人が侵食してしまっているのだろう、不快の連続だ。

赤の他人に対する感覚も田舎に比べたら警戒心が強まるのかもしれない。

それが精神疾患を抱えている人はより強まるのかもしれない。
すなわち、「気をつけろ、他者は危険だぞ」と。

自分が余裕がない状態だけに他者への警戒感が強まるのだろう。


ということは、裏を返せば、催眠か何かで他者は安全だぞ~、もわわわ~んとやって、この世界の住人は味方だと思い込ませれば心を病む必要もなくなるのかもしれない。

 

「他者は私を攻撃する」という価値観を確かめようにも見つからない。

その時、被害妄想はもはやいらなくなるに違いありません。